コーヒー
飲みかけのコーヒーが机に三つ並んでいる。 一つは昨日の、一つは今朝の、一つは今飲んでいる。 カフェインは僕がこの冷酷無慈悲な世の中をひ弱な体で渡るための必須アイテムだった。 今週は月曜に京都から帰ってきて、火曜に彼女から拗らせた風邪をもらってしまい、熱は出なかったものの、 鼻水と喉の痛みが収まらないその風邪をさらに拗らせていた。 何故か「熱が出ていなかったら内科に行ってはいけない」という呪いがかかっており、僕は初めに耳鼻科に行った。 対症療法的な薬をもらうが、僕の弱りきった体に既に拗れた状態でもらった風邪を治すことは無理であった。 そこで初めて先の呪いにかかっていることに気づき、金曜の午前中、診療時間が終わる1分前に内科へ駆け込み、 受付のお姉さんに一度無視されるもなんとか抗生物質を処方してもらうことに成功した。 これによって体がようやく回復の兆しを見せ始め、土曜日を好きな配信者の配信のアーカイブを見ることに全て費やし、今に至る。 コーヒーは体から水分が失われてしまうので体調の優れない今、飲んで良いものではないことはわかっているし、いつも通り飲めないので飲み残しているのだ。 だが、体が最早習慣的に求めるのだから仕方ない。これがコーヒー中毒者のかかっている呪いでもある。
京都旅行
京都旅行に行ってきた。 京都の街はとても好きだが春に行ったのは初めてだった。 まるで桃源郷だった。桜が古都に似合うべくして咲き乱れ、また、散っていった。 だが、体はもう2度とどこへも旅行なんぞに行くなと言わんばかりに吐き気を催し続けていた。 早起きと外出が苦手なのだ。 早起きをして自分の部屋にいる分にはいいが、早起きをして外に出ると吐いてしまう。 体がとにかく早起きを拒絶している。 僕はまぁ色んな社会不適合性を所有しているので、見慣れない場所にいることやこの後の予定が決まっていて行かなければいけないというストレスが旅行中ずっとある。 昔は旅行が楽しかったのに、今は無事に終えられますようにと毎度願っている。 そんな僕の窮地を助けるのもカフェインだ。 今回の旅でもグロッキーだったが、コーヒーを飲んでなんとかなる場面が多々あった。 そんな風にして僕の人生は回っている。
抗ヒスタミン薬
病院でついでにと花粉症の薬をもらった。 僕はアレルギー体質でもあるので、もちろん重度の花粉症なのだが、正直花粉症はほぼ諦めていた。 そういうことをひとつひとつ諦めていかないと生きていけないような人生だったのだ。 だから花粉症の薬を飲むのは久しぶりだった。 ところで僕は昔から入眠障害があり、うまく寝付くことが出来ない。 というか眠り方を知らない。 眠り方は誰かが教えてくれる訳でもないのにみんな眠れるのがすごいと思う。 僕は小さい頃から眠れなかった。 そもそも眠くならないし、眠くても眠りにつくまでに1時間くらいかかることもある。 しかし抗ヒスタミン系のアレルギー薬は眠くなる作用がある。 つまり、実質睡眠導入剤というわけだ。 そういう訳で、僕は最近寝る前に花粉症の薬を飲んで幸せな気持ちで眠る。 寝たいと思った時に眠れることの幸せを噛み締めながら。
何者かになりたいという呪い
精神的若者の間では「何者かになりたいという呪い」があると囁かれている。 またそれによって人々は実際に何者かになったり、心を壊したり、身体を壊したりしているとされる。 僕も例に漏れずそんな精神的若者の1人だった。 だが今やそんなことはどうでもよくなった。 別に、何者になれなくても良いのだ。 心身が健康で、愛する人たちがいて、打ち込める仕事があって、ある程度のお金があれば。 なんてここまで書いて、「なんて自分らしくないことを書いているんだろう」と思った。 要するにこんなのは思考停止である、と。 どんなに時間が経ったって今まで僕が受けてきた理不尽や生きづらさや劣等感を消すことは出来ない。 これから先もそれらが邪魔をしてこないわけじゃない。 だが、誰かと生活を営むということはそれどころではない。 そんなのどうでもよくなるくらいに忙しく、また価値のあるものである。 それは親に扶養されて生活するというものではなく、自らの手で選び取った人と自らの手で共同生活を作っていくということである。 そこに大きな意味があった。人生の答えはそこにあった。 この先は敢えて書かない。 ただ、そういう答えがあるとだけ書いておく。